妓女は社交に必要
欧米各国や日本などは、大抵一夫一妻の制度である。而して妻は常識に富み、社交にも慣れ、往く所夫婦連れが多い。天涯地角に在っても、所謂夫娼婦随の家庭的な団楽がある。それと花柳界に出入して汚行があれば攻撃を受け、社会から排斥せられる。従って妓女の必要は少なくなからねばならぬ解である。然るに日本は明治維新の際、遊女屋に出入せる連中が廟堂に立つに及び、遊女屋と摺紳と密接な関係を結ぶに至りこれが馴致して現今に及び、国家の政治が待合で議せられ、一国を引廻す政治家、高位高官が醜窟に出入する。待合入り茶屋遊びは、各界を通ずる尋常の茶飯事となって、地位も、身分も、年も、恰好も打忘れ、泪泪として此濁流に棹さす状態にある。
日本に於てすら斯くの如しである。況んや支那は、女子の教育を受けたる者稀にして、常識に乏しく、交際に暗く、加ふるに一部の婦人は纒足にて歩行の自由を欠ぎ、已むを得ず深窓の中に蟄居する、茲に於て社交的婦人を他に求むるといふ結果となるのである。其他家庭に於ける性的生活の欠陥にも関係がある。(茶室と下処の部参照)そこで支那では、男が花街に出入することを以て、何等耻として居らぬ、故に花街の繁昌は当然のことになって来る、而して妓女と恋愛関係を生ずるに至れば、社会は之を非艱せず、却って名士美人を以て許す、それのみならず、一場の風流韻事として之を称揚するやうな傾きがある。