妓女の前身は宮中の女楽
女閭の売笑婦を「女楽」といつゐた。釈名に「妓女楽也」とあるから、当時の女楽は楽を奏し、時には客の枕席に侍して、恰も今の芸妓と同様であったに相違ない。女楽は遠く、夏の時代から有った、事物起原に「女楽、自周末皆有、而桀為之始」とある、これは列女伝に「夏桀、既棄礼義、淫於婦人、求四方美女、積之後宮、作爛漫之楽」とあるのに本いたものである。史記殷本紀に、「使師涓作新淫声、北里之舞、靡靡之楽」とあるから夏の後を受けた殷代にも女楽が盛んであったことが解る。要するに女楽は最初は帝王が之を楽んだに過きず、一般には用ゐられてなかった。詩経に「窈窕淑女、鐘鼓楽之」とあり、隋の高祖が、「自古天子有女が乎かと、羣臣に問ふた時、臣の暉遠が「王者房中之楽」と答へたのをみても王者の独占だつたことが解る。管仲以後一般的になったと思はれる。