秦の始皇は妓女の子
此戦乱の中に、売笑婦の腹中より恐ろしい男の子が飛び出した、それは長城を築き阿房宮を作り、経典を焼棄し、儒生を抗殺した秦の始皇帝である。始皇帝は実に邯鄲(今の直隷邯鄲県)の一舞妓が産んだのである。戦国の際、条約締結の人質として趙の宮延に在つた秦の太子の子異人(一名子楚)を担いだのが邯鄲の一商人呂不韋であつた。呂不韋は自分の陰謀を遂げんが為めに、全資産を尽して王子に取入つた。王子は呂不韋に誘はれ邯鄲に於て盛んに美人を漁つた、その時「邯鄲の美姫」と称し、絶世の艶容を有し、歌舞に長じた一舞妓があつた、王子は遂に此舞妓と深い恋に陥入つた。さして二人の中に出来たのが「政」である、此「政」が後年秦司始皇帝となつたのである。政は名不韋と美姫との私生子といふ説もある、何れにして売笑婦の子が、帝王になつたとは面白いことである。(呂不韋列伝によれば、呂不韋、邯鄲の豪家の女を幸し、其の娠めるあるを見て之を荘しの貞応即ち異人に献し王悦びて之を娶るとある。)