泊り込みまでの道程
偖て支那の芸妓も「打茶囲」の相手となり、談話を交し、歌を唄ひ、酒席の興を助けるばかりであれば実に清浄潔白であるが、人間の或要水を充す為めに存在して居る以上は、そんな単純なことでは、自他共に許さぬのである。男女の性交を、絶対的神聖なりとして居た昔はいざ知らず、黄金を以て、或種の女の貞操を買ひ得ると知つた男性と、人間の本能として、男性には無科で提供せねばならぬと信じて居た肉を鬻いで、報酬を得これるといふ、意外なる発見をした女性とが、国家が公許した場所で落合ふのであるから堪らぬ、忽ち肉の取引が成立するのは当然の結果である。
そこで支那の妓館には「住局」とか「住下」とかいふ言葉が出来たのである。「住局」は日本でいふ「泊り込み」である。「打茶囲」の揚句は自然の道程として、早晩この「住局」に落着かねばならぬのである「打茶囲」のみで満足する嫖客もなければ、又「住局」に応ぜぬ妓女もないのである。たゞひやかしから泊り込みまで漕ぎ附けるのには、多少面倒な手続と、相当な努力とが伴つて居るのである。