節期の無心と吝な客
斯くて真実の「熟客」となるのであるが。其次からお互の呼称が変て来る「ニン」は「ニイ」となる「ニイ」即ちあなの尊称が「ニー」即ちおまえさんと親密になつて来るのである。花酒をやつた後でも打荼囲に要する心附け等には変りはない。又花酒をやるのは必ずしも縁を結ぶてなく、そうした華々しきことが好きでやる粋人も居るのである。関係の無い熟妓に「玉を附けてやる」ことは日本にも有ると同様である。
又「花酒」は、縁結びの宴として、最初の一度で済むかといふにそうでない、其女に通ふ間永久に崇るのである、「元宵」「端午」「中秋」の三節は勿論のこと「過年」即ち年越しには「過節回家」といつて、妓女は多く自宅に帰つて祝節を父母の膝下で行ふ。生家に帰る時を「上車」といふ。滞留数日(大概五日位)の後帰班するを「下車」といふ。此際には相当の心附けをやらねばならぬ。これを「犒賞」と謂ふ。「犒賞」は 上車よりも下車の際が重要である、それは一面妓館及び朋輩に対する所謂面子と、一面は数日生家に帰り休養した上、新しい気分を以て客に接するのであるからである。北京に於ては北班子の女は、北京か又は遠くて天津位であるから、総て過節回家をなし、従つて妓館も其間だけは休業する。南班子の妓女は南方の女でちよつと帰家することができぬから、上車も下車もなくたゞ新年に休業するだけである、その他は平常の如く娼業を営む其代りに節期々々には、犒賞を相当にしなけれはならぬのである。
又「犒賞」は過節のみでない其他、妓館の主人、母、自分の誕生日にも祝儀をねたり、「花酒」を要請するのである、甚しきに至つては朋輩の誕生日まで祝つてくれと申出づる、其場合は必ず「妾の顔を立て下さい」と何事も面子にくつつけて、出来得るだけ客から絞り取ろうとするのである。金持ちになると、好んでそうした要求に応じて、妓女の歓心を買ふと共に、威張つて居るものも有るが、多くは巧く逃れる者が多いやうである。厄逃れの秘訣は、要するに過節の前後に接近しない方がよい。ほとぼりの冷めた時にヒョツクリ訪ねて見て、あの節は旅行をして居た位に誤魔化して置けばよい。しかしそれも度重なれば吝な客として「冰筒」冷遇さるるから、要領よくやらねばならぬといふことだ。