茶をすすつて芸者遊び
歌も済み、世間話も終ると、汐時を見計つて引揚げねばならぬ。客は去るに臨み、お茶代を置かねばならぬこと勿論である、其額は普通一元でよい、それ以上奮発しても多いからといつて立腹はしないが、余り多く置けば反つて馬鹿にされる。このお茶代を「盤子銭」と称し、お茶代を置くこと「開盤子」といふ。盤子とは昔阿片をのんだ時に用ひた「煙盤子」に其代を置いた風習から此称がある。こうして妓女を聘びお茶を飲んで廻る遊びを「打茶囲」といふのである(後で述ぶる)之は単に茶を飲んで帰るまでのことで、日本の芸者遊びに軟べると物足りぬ気がするが、たゞ素面素小手で、お茶をがぶ飲みに飲んでさへ居れば、それでよいのである、ちよつと変つて居る。
一妓女に対し、同時に数人も遊びに来る場合がある、其時は芸妓は第一番のお容を自分の部屋に請し、次の客から空き部屋に入れて置き、其間を程よく時を計つて廻り媚を売るのに眼の廻る様な思ひをするのである、これは恰度、日本の廻し客を取るのと同一であるが、愈々客が泊り込む段になると、一夜一客で決して廻しは取らぬのである。日本では恋の鞘当といふやうなことが起りやすいが、元来支那の男は、女に対して非常にのろいので大した不都合もないやうである。
妓女が、一時に数客に応待するのは別段怪まぬが、客の方はそう行かぬのである。一旦一妓女を聘んで打茶囲をすると、其妓館に於ては、他の妓女を招くことは絶対に出来ぬこととなつて居る。初め「見客」をした時に、一妓女を指定した時が、已に不文の誓約に簽字したやうなものである。尤も、友人の愛妓を酒席に借りるやうな例はある(それは次項に述ぶる)が、初め聘んだ女が気に入らずして、他の妓に代ゆる日本でいふ「見立替へ」をするやうなことは許されてない。最近に外国人に対しては、こうした習慣が往々破らるることがあるが、支那人同士の間には、廊の憲法として遵奉されて居る。