妓女の歌と客の聴き方
茶を呑み、世間話だけで済ましてもよいが、若し歌を聴かんとする時には、妓女に向つて
你会唱麼(お前は歌が唄へるか?)
と尋ねて見る。小班子の妓女にも二通りあつて、唄へるものと、唄へないものとがあるから予め聞いて見るがよい、
会一点児或は不会(少し唄ひます、或は知りません)
と答へる昔は「点曲児」と称し、扇に歌名を連記したものを出して、客の撰択に任して唄つたといふが、今は其風がなくなつてしまつた。歌の唄へる妓女とわかれば歌名を撰択して
你唱一個△△(歌名)罷(何々を唄つてくれ)
と指定する、そうでないと
您喜歓聴甚麼(あなたはどんな歌がお好きでいらつしやいますか)
と反問さるる、其時歌の名を知らぬ者は
請你随使唱罷(何でもよいから随意に唄つてくれ)
といふのが無難でよい。そうすると歌妓は乾媽に向つて「叫師伝」と命ずるこの「師伝」といふ尊称は、上は皇帝の教師から、下は花柳界に至るまで同様に使用さるる、何だか変に聞ゆるが、要するに、お師匠さんを呼んで来いといふことになる。このお師匠さんといふのは、歌妓の歌に合はする胡弓、月琴、三味線を弾くもので総て男がこれをつとめるのである、女によつては師伝といはずに
叫拉胡琴児的(胡弓弾きを呼んでください)
とも命ずるのである。軈て「胡琴児」が召しに応じてやつて来る。この胡琴児的は勿論その家附で、二三妓女の共同のものと、一妓女専属のものとの二種ある。馴染となれば客に向つて
您未了(いらつしやい)
位の挨拶はするが、生客の場合には黙つて室の入口に立ち、又は椅子にかけ歌に合せて弾く、歌妓が唄ひ出すと客は敬聴しなくつてはならぬ。此場合歌の巧拙に論なく、如何にも巧く、感に入つたといふやうな表情をしなくつてはならぬ、節廻しのよい時や、唄ひ終つた時には、心琴に触れたやうに装ひ
「好」(うまい)「不錯」(間違ない)「真高」(上手)
とかの賛辞を呈せねばならぬ。お世辞とは知りながら、褒めらるれば、悪い気持のせぬのは、人情の自然である。
叫您見笑(御戯談でせう、どういたしまして)
と口には謙遜するが、歌妓は大に面目を施す訳である。斯うして妓女の歓心を買つて置くと、軈て来る、べき最後の交渉に、極めて有利となるのである。歌に対し妓女自身は、報酬を求めぬが、胡琴児的の祝儀は当然要求する、粋客は妓女の要求を俟つまでもなく、歌が終ると直ぐ与へねはならぬ、其額は普通一元、これを「師伝錢」といふ。