支那の売笑
五、清吟小班

芸も売れば身も売る

「芸は売つても身は売らぬ」とは、日本の芸妓の間に昔流行した言葉である。言葉が有つたのみならず、昔の芸者には斯ういふ意地と張りとが有つた。芸者ばかりでなく、枕席に侍ベることを標榜して娼業を営んで居た「花魁」でも、漫りに嫖客の自由にならなかつた。意地と張りとを立て通す為めには、白刀の下に、自若として動かなかつたことは稀らしくなかつた。明治維新の際、京都に於ける芸妓の如きは、志士に内応し、身命を屠して国家の為めに尽瘁した。又明治の初年、横須賀に於ける一遊女は「降るアメリカに袖はぬらさじ」と、終に自刄して大和撫子の意気を示したことがあつたが、時代の変遷に伴つて、段々堕落して今の芸妓には斯うした意地は薬にしたくもなく、殆んどが、不見転に成り果ててしまつたのである。

支那芸妓は、漫りに客の自由にならず、恰も昔日の日本芸者の如き意地を持つて居るといふ者が多い、今まで支那の妓女を説く者は口に筆に

支那の妓女は日本芸妓と異り、容易に妥協しない、若しこれを自由にせんとするには、深草の少将を極め込んで、大にその親切振りを見せてから、女がこれに絆されて口を切るまで、海路の日和を待たねばならぬ、若し客の口より漫りに情交を迫れば、廓の憲法に触れ、忽ちにして妓女の肱鉄を喰ふのみならず、「打茶囲」をする遊客の資格を夫ふ

と称し、未だ支那妓館に遊ばざるもの、又は遊び馴れざる者は、之を信じ、或は支那の妓女を賞賛し、或は好奇心に動かれて、意外の時間と黄金とを、徒費する者が有るといふことである。

昔の班子には、前述の如き憲法が絶対に行はれ居たに相違ない、今でも支那人間には此旧慣に拠る点もあるが、此処にも時代の潮流は襲ひ来つて、そうした慣例は、滅茶苦茶に打破されて了つたのである。先客も先約も無く、身体の工合の悪くなかつた場合は如何なる妓女と雖も「住下」即ち「泊り込み」は可能であるといつてもよいのである「生客」の際に申込み悪いとしても、それを瀬踏みとして裏をし返た時には、如何なる要求も容れられるのである。若し不成功に終るとすれば、夫は其方法と形式と順序とを誤つたのか、又は玉代を出し渋ったかの二つに帰因する。

五、清吟小班

  1. 班子の所在地
    1. 八大胡同の名称
    2. 八大胡同の班名
    3. 八埠に遊ぶ道筋
  2. 班子の構造と彩綢
  3. 芸者買の順序
    1. 男衆を亀奴と呼ぶ
    2. 妓夫太郎の任務
    3. 芸妓屋の門を入る
    4. 脂粉の香漂ふ
  4. 引附部屋に案内さる
    1. 煤球児の臭ひ
    2. 室隅の洋床
    3. 総てが挑発的
    4. 身も心も落着かぬ
  5. 見客と芸妓の顔見せ
    1. 交渉の第一歩
  6. 客も妓も懸命の場面
    1. 改天見と一廻りしてから
    2. 変体色情狂
  7. 撰定が済み初挨拶
    1. 妾を可愛かりて下さい
    2. 嫖客の得意
  8. 愈々本部屋入り
    1. 身元調べ
    2. 煙の次に茶
    3. 乾いたものが湿ふ
    4. 花柳界で大事な縁起
  9. 妓女の歌と客の聴方
    1. 昔の点曲児
    2. 歌の撰択が済み叫師伝
    3. 胡琴児的来る
    4. 師伝銭の額
  10. 茶をすすつて芸者遊び
    1. 打茶囲と盤子銭
    2. 廻し客は取らぬ
    3. 恋の鞘当は無い
    4. 見立替へを許さぬ
  11. 料理屋に妓女を呼ぶ方法
    1. 局票の書き方
    2. 叫条子と借条子
    3. 友人の紹介荐条子
  12. 支那の芸妓はお酌をせぬ
    1. 客から妓女に敬意を表す
    2. 芸妓相手の乱舞は出来ぬ
  13. 他班の馴染を呼ぶ色男
  14. 泊り込までの道程
    1. 肉の取引が成立
  15. 芸も売れば身も売る
    1. 支那の妓女に対する誤解
  16. 正式に泊り込む手続
  17. 縁結びの祝宴
    1. 花酒の招待状
  18. 花酒費の一覧表
    1. 枕金の相場
  19. 花酒の当日と竹戦
    1. おひけとなって吃客飯
  20. 芙蓉帳裡巫山の夢
  21. 客に対する観念と待遇振り
    1. 支那国民性の一端
    2. 振るといふことがない
  22. 節期の無心と吝な客
    1. 上車と下車
  23. 花酒抜きの情意投合
  24. 外国人は軽便で持てる
    1. 花柳竹技詞
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