支那の売笑
五、清吟小班

愈々本部屋に入る

斯くの如くにして、お客様と定まつてしまへは、引附部屋では万事都合が悪い。そこで愈々日本でいふ「本部屋」入りとなるのである。若し自分の部屋に先客があつた場合は、其侭引附け部屋を応用すること勿論である、偖て本部屋入りとなれば、夥計は大声で

△△姑娘屋子打簾子(何々姑娘の部屋の簾を揚げよ)

と呼ぶのである。これは妓女に附随して居る「踉人児」即ち「乾媽」日本の鴇母(やりて)仲居に告げて準備をさせる為めである。此場合日本の遊廓では、妓夫太郎や、仲居と嫖客との間に、遊興費に就て面倒な交渉が開始されるが、支那では少し趣きが異つて居るので、そうしたことも無く

請您(どうぞこちらへ)

と案内さるるのである。導るる儘に跟いて行くと、妓女の部屋となる、ヤリテ婆さんは、ムク鳥おざんなれと、入口の布簾を捲くつて持ち構えて居る。

部屋に入つて椅子に着くと、乾媽は茶の仕度をする、その間に敵娼は

您喫煙罷(煙草を召しあがりませ)

と煙草を勧める、そして改めて「您貴姓」を操返して姓名をたづね、今度は

您在那児住啊(あなたは何処に住んでいらつしやるの)

と住所を問はるるのである、女によつては其職業までも聞ただし身元調ベをやる。これは妓女のみに限らず、支那人一般に用ゆる初対面の挨拶であるから、別段怪まぬのであるが、馴れない日本人などはちよつと面喰ふのみならず、何だが馬鹿にさるるやうな気がする。しかし此場合「生客」初会の客たるものは、豪然として威厳を保ち、大人を気取らねはならぬといふから、支那の嫖客となる亦難い哉である。身元調ベが済んだ頃に、乾媽が茶を運んで来る

您喝茶罷(お茶を召しあがれ)

と、応酬に勉むる、茶と共に必ず「瓜子児」西瓜の実を出すのが慣例となつて居る。煙草を先にして茶を後にするといふことは、別にも深い意味がある。煙草は「乾的」といひ、茶を「湿的」といふ隠語がある、即ち「乾いたものが湿ふ」といふ意で、なかなか花柳界にとつては大事な縁起となつて居る、「煙と茶」に就ては、未だ面白い諷刺があるが、風俗攪乱となるから説明は見合して置かう。

五、清吟小班

  1. 班子の所在地
    1. 八大胡同の名称
    2. 八大胡同の班名
    3. 八埠に遊ぶ道筋
  2. 班子の構造と彩綢
  3. 芸者買の順序
    1. 男衆を亀奴と呼ぶ
    2. 妓夫太郎の任務
    3. 芸妓屋の門を入る
    4. 脂粉の香漂ふ
  4. 引附部屋に案内さる
    1. 煤球児の臭ひ
    2. 室隅の洋床
    3. 総てが挑発的
    4. 身も心も落着かぬ
  5. 見客と芸妓の顔見せ
    1. 交渉の第一歩
  6. 客も妓も懸命の場面
    1. 改天見と一廻りしてから
    2. 変体色情狂
  7. 撰定が済み初挨拶
    1. 妾を可愛かりて下さい
    2. 嫖客の得意
  8. 愈々本部屋入り
    1. 身元調べ
    2. 煙の次に茶
    3. 乾いたものが湿ふ
    4. 花柳界で大事な縁起
  9. 妓女の歌と客の聴方
    1. 昔の点曲児
    2. 歌の撰択が済み叫師伝
    3. 胡琴児的来る
    4. 師伝銭の額
  10. 茶をすすつて芸者遊び
    1. 打茶囲と盤子銭
    2. 廻し客は取らぬ
    3. 恋の鞘当は無い
    4. 見立替へを許さぬ
  11. 料理屋に妓女を呼ぶ方法
    1. 局票の書き方
    2. 叫条子と借条子
    3. 友人の紹介荐条子
  12. 支那の芸妓はお酌をせぬ
    1. 客から妓女に敬意を表す
    2. 芸妓相手の乱舞は出来ぬ
  13. 他班の馴染を呼ぶ色男
  14. 泊り込までの道程
    1. 肉の取引が成立
  15. 芸も売れば身も売る
    1. 支那の妓女に対する誤解
  16. 正式に泊り込む手続
  17. 縁結びの祝宴
    1. 花酒の招待状
  18. 花酒費の一覧表
    1. 枕金の相場
  19. 花酒の当日と竹戦
    1. おひけとなって吃客飯
  20. 芙蓉帳裡巫山の夢
  21. 客に対する観念と待遇振り
    1. 支那国民性の一端
    2. 振るといふことがない
  22. 節期の無心と吝な客
    1. 上車と下車
  23. 花酒抜きの情意投合
  24. 外国人は軽便で持てる
    1. 花柳竹技詞
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