客も妓も懸命の場面
夥計は、部屋の入口外に立つて布簾を捲くつて、妓女の来るを待ち構えて居る、そして、妓女の到着順に、一々その名を大声に呼んで客に紹介する。妓女は恰も舞台に出て来る女の如く、態をつくり、済ました顔して、室の中を覗き込むのである。取捨は客の随意であるが、室に来る前姿と、覗き込んだ時の面相と、去つて行く時の後姿や、大小肥痩まで、短時間の間に見定めて、多くの中から一人を選はうとするのだから、一挙手一投足、見落すまいとする努力は、一通りでないのである。女の方とてもよく見て貰うとする苦心があるには相違ない、こゝもと客も妓も懸命でなからねばならぬ。斯くて妓女の顔見せが終ると、夥計は
見完了、您挑人児、喫煙罷「これで終ひました、あなたどれが好きです、マア煙草でも召しあがりませ)
と、煙草は出さぬが、斯うした挨拶をする。若し気に入つたものが無い時には、そのまま失敬してよい、勿論茶代の必要はなく、たゝ「改天見」とか「改天再来」とかの「また来る」といふ捨台辞を残して出て行けばよいのである。
それが支那遊廓の習慣となつで居るから、誰も怪まぬのである、日本の「張り店」で格子先からサンザひやかして、お負けに吸付煙かなんか思はせ振りをした揚句「一迴りしてから来るよ」を極め込むのと同様である。こんな連中は一晩中くるわの中をひやかして明かす如く、支那にも実際女を揚げるのではなく、たゞ面白半分に見客をして廻り、一文入らずに美人の顔を拝もうとする、近頃流行の変体色情狂が多いとのことである。店前に陳列して客を待つ日本の女郎と、客を屋内に引込んでから顔見せをする支那の妓女と、初会に明き書を見て盲目滅法に聘ぶ日本の芸妓とを、比較して考へて見るとなかなか興味がある。