茶室の打茶囲
二等でも一等同様に「打茶囲」をする、其方法も大差はないのである。先づ門を入り、内庭に進めば、鴇母又は夥計が待ち構へて居るから、それに案内されて、小班と同様引き附け部屋に這入る、熟人の有無型の如くあって、生客と定まれば所同「見客」となるのである。班子の「見客」は、多く夥計が勉むるが、茶室は多く老媽が弁ずる 老媽の呼ぶ癇高い声に応じ、姑娘共が列をなして内庭に集って来る、それを客に紹介する方法は班子と同様であるが、班子は妓女の源氏名を呼ぶのに反し、茶室では排一排二、排九、排小といったやうな工合に排号を用ひて呼ぶ。
此排号は、源氏名と同様な符号であって、彼等は初め命名された排幾は、其家では勿論何処に転宿しても変更しないのである。これが為めに、同一妓館に排数の同様なるものが二人以上あることがある。排八と呼ぶは悪音に聞へ「亡八」と間違ふといふ迷信より何楼にも無く、排十も同様の意味より排小と呼ぶ。だから排数は日本の遊廓の如く「お職」があって、其次を二枚目、三枚目と呼ぶのとは趣きを異にして居る。それから後の応酬及茶を点し瓜子児を出すこと等は、小班と同様である。念の為めに「你会唱麼」お前は唄えるか位のことは聞いて見てもよい、茶室の妓女と雖も大に唄へる者がある、それは多くは班子の芸妓が、容色が衰へたとか、又は年老ひたので茶室に下落したのが多いからである。