花柳界で持てる客
迷信の部で述ぶのは妥当てないが、序に花柳界で持て囃さるる客に就て述ぶる。支那には「五字嫖経」といふのがある。即ち「潘」「騾」「鄧」「小」「閒」の五の順序である。この語原は水滸伝二十三卷に、西門慶に対し、王婆が「大人にこの五件が具備すれば武大郎の妻君を幇襯(とりもち)てあけませう」と言つたのに本づく、その意味は次の如くである。
(一)潘……水滸伝に「潘安的貎」とある、印ち晋の潘安仁の如く美なる容貎を指す、美貎が一番に持てるといふ。
(二)騾……水滸伝に「驢児大的行貨」とある、その意味の詳述は憚るが、要するに「驢の如く大なる行貨」と直訳して置かう。
(三)鄧……同書に「要似鄧細有銭」とある、漢の鄧通の如き富豪を指す。
(四)小……同書に「小就要綿裏針忍耐」とある、「衣の裏に針有りて、身を刺すごとき苦みを忍ぶ」ことで、要するに柔順なる者を指す。
(五)閒……同書に「要閒工夫」とある、即ち多くの閑ある客を指す。
此五件事は花柳界の不文律となつて居るといふ。妓女に持てんと欲するものは自ら研究すべきである。要するに淫風の盛んな支那のことであるから、斯うした色町に於て行はるることは、我々外国人に想像も出来ぬことが多い。日本の花街では見ることの出来ぬ「楽死」など名附けることがある、その場合の非常手段があるがこれを説明すれば風俗壊乱となる、しかし花叢の中に出入するものは心得て置くべきことである。
〔附記〕大家族主義の支那では、多く子孫を繁殖せしめたいといふ理想の下に一夫多妻制となり、その結果は、女が奴隷視さるるに至りた、而して一夫多妻は自然に淫楽に耽ることになり、茲に滋強剤の必要を来し、不老長生を欲するやうになりた、而して道教思想に本ける仙人の境遇を夢想するに至り、脱俗して霞を食ふ仙人となり得ざる者が、精液漏出の瞬間に於ける快味を以て仙人の境涯なりと想像するやうになつた、斯くてこの期間を永続せしめたいといふ欲望を起し、終には阿片其他の薬品を用ゆることとなり、遂には「楽死」などといふ外国には例のない結果を来すのである、このことに就ては近刊の「不老長生」に述べて見たいと思ふ。