「打茶囲」は社交機関
「打茶圍」に就ては「清吟小班」の部に於て述べた如く、支那人は「打茶囲」を欠ぐべからざる社交機関の一つとして居る、これに就て更に一言加へて置きたい、一体支那には、社交機関として、上品にして極く軽便で一般に行はれて居るものに「茶館」がある、僅か四五枚の銅貨を投じて茶をすゝりながら、政治上の陰謀もやれば、商取引もやる、支那人に執つては一日も無くつてならぬ貴重な機関である。其茶館児を贅沢にしたのが此「打茶圍」である。
「茶館児」には女は居ないが「打茶囲」には女が侍べる、支那の家庭は封鎖されて居る、婦人の多くは深窓深く潜んで社交界に出ない、そこで勢ひこうした場所で、開放された自由の女を相手にすることは、人間自然の要求として已むを得ぬことである。家庭に於ける社交的欠陥は斯くの如くにして補はれて居るのである。それは恰度日本に於ける芸娼妓の存在と「待合」といふ一種の社交機関とも見做すべきものがあるのと同様である。嘗て日本に来て伝道事業に携はつてゐたシドニーヱル、ギューリツク氏は「日本の進化」といふ著書の中に次のやうなことを述べて居る。
日本に於ける家庭生活の憐れむべき状態であることは、公娼私娼及び芸妓が到る処に居るのを見ても判る、嘗て基督数青年会の路上で某信者は、日本では芸妓の存在は現在の文明に避け難い現象であると言つた、其理由といふのを聞くと、日本の婦人は社交界に出ないから芸妓は其代用として存在して居る、随て日本婦人が泰西婦人のやうに社交界に出る資格を得さへすれば自然芸妓はなくなるであらうといふのである……
と説き最後に
男女間に社交的関係のない事は疑ふ可らざる事実で、女でゐて男と共に社交的な快楽の仲間入をするものは、唯芸妓としてのみ許されて居ると言つても可いのである
と附け合へて居る。日本婦人が其智識に於て、素養に於て、社交的資格を増して居るに拘らず、芸妓は反対に増加して居る奇現象から推すと、所謂社交云々の憑拠は怪しくなつて来るが、そうした議論は別として、私は此キューリツク氏の言を借りて、日本でなく支那に当で箝めたいのである。