自序
売笑婦が、現社会に欠ぐべからざるものとして存在して居る以上、之が研究をなすは、我々社会研究に志す者の当然の任務である。私が「支那売笑婦の研究」をなしつつあるのは、この任務を遂行せんが為めに外ならぬ。本編はその研究の一端を発表したに過ぎない。
世の道徳家は、売笑婦は近づくべからざるものとして居るらしい、ところが、私は偽善者でないから、容易に之に接近することを得た。世の学者は、これを口にし、筆にすべからざるものとして居るらしい、然るに私は学者を気取るものでないから、平気でこれを説明し、大胆にこれを記述し得た。
本書を刊行するに当り、私は何等の束縛を受くることなく研究し、何等の憚ることなく発表し得た「自由なる立場」にあることを、愉快に思つて居る。私のやうな研究者が居なかったら、斯くの如き著述は、永久に世の中に出なかつたかも知れぬ。
何れにしろ、本書は、終始一貫、支那研究といふ観念を抱ひて、真面目に筆を執ったものである。
大正十二年十二月廿日
北京「支那風物研究会」研究室にて
中野江漢識